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654. 木曽さんさようなら - 石井 - 2008/01/10(Thu) 23:36 - [削除]

 昨年末にご子息から、五十日祭を済ませた旨のご通知を頂きました。
 先生とは福山で開催された全国大会の夜店実施が機縁で、以後お付き合いをさせて頂いておりましたが、ただ単なる表面的な交流に終始していたかと思います。
 ところが近年、ふとしたきっかけで先生が書かれた次の文章に触れ、失礼ながら刮目した次第であります。

あの日のみっちゃんの軍歌

ラーメン店主・木曽吉三郎(福山市・69歳)

 昭和十九年の初夏、広東の日本山妙法寺の僧侶、みっちゃんのところへ召集令状が来た。伍長で除隊していた彼は、伍長の階級で現地召集となり、第二十三軍(南支那派遣軍)の一部隊へ入営した。

 彼はその数日前、広東市恵愛西路の我が家へ別れの挨拶に訪れた。我が一家は戦いに赴くみっちゃんと共に、母の手料理の食卓を囲んだ。

 その夜みっちゃんとベッドを共にした私は、一曲の軍歌を習った。「ああ我が戦友」であった。繰り返し繰り返し私が完全に覚えるまで、みっちゃんは唄い、私は覚えた。

 半年ほどして、みっちゃんは戦死した。享年二十八歳。

 みっちゃんは、九州は若松のやくざだった。出入り(喧嘩)で若松に居られなくなり広東へ流れて来た彼を父が用心棒として雇った。両肩に文身を入れていた。私をきっちゃんと呼んで良く可愛がってくれた。私は彼をみっちゃんと呼んだ。ほどなくして彼は父に日本山妙法寺の僧侶になりたいと申し出、父は快諾した。彼の得度式に参列した私は、今でも彼の頭に剃刀が当てられた時の神妙な顔を思い出す。

 満目百里雪白く/曠望山河風荒れて/枯木に宿る鳥もなく/ただ上

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